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歴史を知って風俗遊びをさらに楽しく!

風俗の歴史からわかる戦後日本

初心者も知りたい遊郭の歴史

日本における風俗店の原点は遊郭です。
遊郭のなかでも吉原と島原は別格とされ、一般庶民には一生かかっても手の届かない場所とまで言われていました。

風俗というからには男性が一方的に性欲を満たすための空間だと思われるかもしれませんが、江戸時代の遊郭は決してそのような安っぽい場所ではなく、徹底した女性上位の思想に貫かれた、遊女をいただきとするヒエラルキーが確立された遊び場だったのです。
どれほどのお金があったとしても、一度や二度の来店だけで遊女と同衾できるほど甘い世界ではありません。

気に入った遊女と同衾を果たすためには最低でも三度は通いつめなくてはならず、そのうえ遊女が気に入らなければたとえ十年通ったとしても同じ部屋にさえ入れないという厳しい掟がありました。
ここまで徹底して格式を高めているからこそ、日本の遊郭文化は現代でも語りつがれ、ひとつの遺産となっているのです。

江戸幕府が遊郭を公認した理由

日本最大の遊郭である吉原が正式に幕府の公認を受けたのは1617年のこと。
江戸幕府がその後も各地の遊郭を公認した直接的な理由としては、大規模な区画整理によって地域に流入した血気盛んな土木作業員の士気を維持するため、というのが挙げられていますが、実はそれだけではありません。

当時、地方から出てきた女性が働く道はほとんどありませんでした。そのまま地方にとどまっていても生活苦により困窮するのは明らかであり、幕府としても身寄りのない女性を一括して雇い入れる大がかりな場所をつくる必要がありました。
そこで考え出されたのが遊郭です。遊郭であれば女性のほうが客に対して主導権を握ることができ、確立されたヒエラルキーのなかでトップを目指すこともできる。
遊郭は女性蔑視の温床だと批判する人もいますが、江戸時代においては遊郭がひとつの雇用の場として機能していたのです。


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